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マインドフルネスとは?(1)

アメリカ由来の「マインドフルネス」

「マインドフルネス」というように、もともとは西欧で創始され輸入されたものです。

代表的もしくは広く知られているものに「マインドフルネスストレス低減法」(MSBR)があります。

1979年に、マサチューセッツ大学メディカルセンターのストレスクリニックで、8週間の「ストレス対処およびリラクセーション・プログラム」が開始されました。

「ストレス対処およびリラクセーション・プログラム」は、J.カバットジンが考案し指導しました。カバットジンは、1960年代初期に、鈴木大拙によって禅を知り、仏教由来の瞑想に取り組みました。

『ストレスクリニックでの患者たちが学んでいる「注意を集中する技術」を使った自己管理トレーニングを自分もやってみたい、という問い合わせが寄せられ』たことから、カバットジンは、1990年に「マインドフルネス瞑想法」を出版ました。(以上「マインドフルネスストレス低減法」北大路書房より)。マインドフルネスの意味は「注意集中」です。

この「マインドフルネス瞑想法」が「マインドフルネスストレス低減法」MSBRとなったようです。

「マインドフルネスストレス低減法」を読んでみると、私がヴィパッサナー瞑想の実践から体験したことと合致しており納得性が高く、仏教の認識論をしっかりと踏まえつつも、仏教色を出さない、わかりやすい説明がなされています。

禅宗は不立文字、言葉によらない方法によって神髄を伝えると言われてきました。

近代教育は、「言葉」によって教育し、「言葉」によって学習の到達度合いを測ってきました。それゆえ「言葉」によって概念的に理解して、「言葉」による学習到達度の確認により、より到達度が高いと評価された人が優秀とされてきました。

そこでは、自らの「体験」によって獲得もしくは体現する「知」もしくは「智」は評価されません。

カバットジンの「マインドフルネスストレス低減法」は、不立文字と言われるもの、実践してはじめて理解できるもの「知」もしくは「智」を、カバットジンの実践と経験に基づき「言葉」で、マインドフルネスの実践方法を説明した優れた手引書であるように思います。

とはいえ、自ら実践しなければ効果を得ることはもちろんのこと、マインドフルネスを理解することはできません。

日本の研究者も「マインドフルネス」の出現を予感

1967年に発行された中央公論社の世界の名著「大乗仏典」の付録で、長尾雅人先生はこのように言っています。

「たとえばアメリカにおける禅ブームというもの、あれはブームでも何でもない(中略)、ペーパーバックの本屋を見ると、禅の本が非常に多い。鈴木大拙さんのものももちろんあるが、アメリカ人その他の書いたものがたくさん出ている。これらのものがアメリカ人の心にいろいろなものを植え付けているのですよ。それは宗門とか教団とかという形とはちがうが、しかしかなりの影響力を持ってくると思いますね。」

長尾先生の言うとおりになっています。

ここで私が重要だと思う点は、「それは宗門とか教団とかという形とはちがう」と言われている点です。

禅の盛んな日本でなぜ、カバットジンのような仕事がなされなかったのだろうかと考えると、日本の禅が宗門、教団によって担われ、宗門、教団の枠を超える広がりにはならなかったから、ということに理由が求められるでしょう。

カバットジンは、鈴木大拙の著作を通じて、禅を知り、その後の自らの瞑想体験を経て「ストレス対処およびリラクセーション・プログラム」を作ったようです。

アメリカはキリスト教文化圏です。

キリスト教文化圏であること、エマニュエル・トッドさんのいう「絶対核家族」社会、個我の意識が強固で楽観的な生き方が良いとされる社会であるがゆえに、仏教の宗門、教団色を出さずに(そもそもカバットジンが学んだ禅には、宗門、教団色はなかったのかもしれません)、禅に基づく自己の瞑想体験を駆使して、アメリカ人が受容しやすい形で「ストレス対処およびリラクセーション・プログラム」を世に送り出したように思います。

「ストレス対処およびリラクセーション・プログラム」は、疼痛などの慢性疾患に苦しむ人々の精神的な苦痛、つまり絶望感や孤立感、恐怖等のストレスを低減し、さらにはストレスの低減を通じて治癒力を高め、症状の改善につながる、というところからスタートしたようです。

「注意を集中する技術」によって涵養した集中力と洞察力によって、今の自分に注意を集中することで、生じたものは生じたと認識して、それを受け入れること、外部の価値判断や自分の意識による判断をしないこと、これらを地道に継続することによって、身体的な苦痛を自らの一部として受け入れることが出来るようになり、それによって精神的な苦痛(ストレス)を低減し、さらには治癒力を高めるプログラム、と理解してよさそうです。

「ストレス対処およびリラクセーション・プログラム」MSBRによる「認知の変容のプロセス」を示すと、以下のようになりそうです。

身体的な苦痛(慢性的な痛み等)の拒絶 = 心理的な苦痛(絶望感、孤独感、恐怖等)
                ↓
MSBRによる集中力と洞察力の涵養、洞察力によって現在に集中し、生じた痛み等を受け入れる
                ↓
身体的な苦痛(慢性的な痛み等)の受容 ≠ 心理的な苦痛(絶望感、孤独感、恐怖等)
                ↓
身体的な苦痛(慢性的な痛み等)の受容 ⇒ 生きる希望はなくならないし、無力でも孤独でもない
                ↓
身体的な苦痛(慢性的な痛み等)の受容 ⇒ (苦痛の拒絶に費やされているエネルギーをセーブし)治癒力を高める

「マインドフルネス」研究が拡大

カバットジンの方法論は、マインドフルネスの効果性を広く知らしめることとなった「マインドフルネス認知療法」の考案者の一人である J.ティーズデールが、仏教思想に触れた際に述べている下記の認識と同じもの、もしくは共通の基盤に立つもののように感じます。

「仏教による苦悩の分析の核心部にあるアイデアと認知療法の基本的仮説の類似性に衝撃を受けた。両方のアプローチが、私たちを不幸にするのは経験そのものではなく、(仏教の分析では)私たちの経験との関係または(Beckの分析では)私たちの経験の解釈であることを強調していた。」(「マインドフルネス認知療法」原著第2版 北大路書房)

そしてティーズディールたちは、MSBRを基に「認知療法の実践と原理をマインドフルネスの中に統合」した「マインドフルネス認知療法」を創始しました。(前掲書)

そして、これを機に心理療法において「マインドフルネス」の研究が飛躍的に増大することになりました。

上記で示したMSBRによる「認知の変容のプロセス」を、ティーズディールの言葉に補足して説明すると以下のように言えるように思います。

『私たちを不幸にするのは(慢性的な痛み等の)経験そのものではなく、(仏教の分析では)私たちの(慢性的な痛み等の)経験との関係または(Beckの分析では)私たちの(慢性的な痛み等の)経験の解釈であることを強調していた。」

マインドフルネス・ストレス低減法が目指す「心理的な苦痛、つまり絶望感や孤立感、恐怖等のストレスを低減し、またストレス低減を通じて症状の改善を目ざす」方法は、それによって「豊かに人生を送る」、いいかえれば「生活の質:Quality Of Life」向上を目指すものととらえてよいと思います。

また、応用プログラムの中で、ストレスとともに敵意が減少したことも報告されています。仏教の認識論では「敵意の減少」という考え方はありませんが、仏教瞑想により当然にもたらされる効果であり手段だと私は考えています。

『「マインドフルネス婚活」の「好感の創出」』では、「敵意」という言葉は使っていませんが、マインドフルネス+慈悲の瞑想による「敵意」=「他者に対する不信感、警戒感」の低減は、「好感の創出」につながると考えています。

ストレスの低減は「四聖諦」でも説明できます

私は、「四聖諦」によって、カバットジンの「マインドフルネスストレス低減法」、「Beckの認知モデル」(認知療法もしくは認知行動量法の基本的な考え)による、心理変容のプロセスを説明できると考えています。

言い換えれば、2500年前に釈迦が説いた「四聖諦」の現代的な実践が「マインドフルネスストレス低減法」であり「Beckの認知モデル」であると言ってもいいように思います。

宗門、教団の方からは一笑に付されるかもしれませんが。

そして「四聖諦」に至る方法が「四念処」、つまりヴィパッサナー瞑想です。

それゆえ禅とはやや別系統となりますが、マインドフルネスとしてのヴィパッサナー瞑想は有用だと考えています。

なぜヴィパッサナー瞑想が有用だと考えるかというと、

  • 瞑想としては強い効果があること
  • 精緻な心理把握(仏教の認知論)に基づいていること、仏教の認知論(心理把握)を活用することで、苦悩への対処がより深化する
  • 四聖諦の考え方を理解して、ヴィパッサナー瞑想に取り組むことで、本来はカウンセラーやセラピストとともに行う「Beckの認知モデル」に基づく介入を自分で行えるようになる
  • ヴィパッサナー瞑想による「止」「観」の体験、「集中力」「感受性」の獲得は、婚活にとどまらず、ストレス解消効果、アンガーマネジメント、創造性開発、問題解決等に活用できる

と考えるからです。

ただし「目的地」は調整する必要があります。

なぜならば、ヴィパッサナー瞑想は、テーラワーダ仏教において、釈迦と同じ涅槃に至るための修行として現代に至るまで行われてきたものなので「目的地」は涅槃です。

ヴィパッサナー瞑想は、涅槃を目指して進んでゆく瞑想法、ということになります。

涅槃を目指して進むことはいけないことではありませんが、出家者でないものは、「目的地」を、「生活の中でも苦悩の低減」それによる「生活の質の向上」に置いた方が良いように思います。

MSBRヴィパッサナー瞑想
人間観性善説
理念的
人生を謳歌することが善
性悪説
人間はありのままでは苦しむ(=悪)存在
方法・手段一瞬への注意集中
今の自分を受け入れること
経験との付き合い方
徹底的な観察により法を証得
心の働きを観て、苦の生起を観て、苦の滅尽を観る
目的地豊かに人生を送る
身体的苦痛と心理的苦痛(ストレス)を分離
涅槃






あなたが幸せでありますように

あなたの悩み苦しみがなくなりますように

あなたの願いがかなえられますように



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