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映画「Notting Hill」で人情の機微を学ぶ

基本、ラブコメです

お互い惹かれあいながらすれ違い、なかなか決心がつかない2人の物語です。
映画スター、アナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)の、一人の女性として、付き合ってほしいという告白を断ったバツ1さえない本屋のウィリアム・タッカー(ヒュー・グラント)。

好きなシーンのお話しから

アナの告白を断ったタッカーが、友人トニー(リチャード・マッケーブ)の、閉店することになったイタリアンレストランで、友人達と妹ハニー(エマ・チェンバース)に、アナ・スコットの、「真剣に付き合ってほしい」という申し出を断ったことを報告し、友人たちに断ってよかったかと尋ねます。

その前日のこと

タッカーはアナの告白を受ける前日に、しばらく付き合いが途絶えていたアナが、イギリスで映画撮影中であることを知り、アナに会いに行きます。アナは、タッカーに話したいことがあるので、撮影が終わるまで待っていてほしいとタッカーに告げます。
この時のアナのアナの表情は「戸惑い」から「決心」そして「不安」へと変わってゆくようでした。                                      撮影スタッフは、タッカーがアナの親しい友人であることを知り、アナのマイクにつながったイヤフォンを渡します。
アナは撮影の休憩中に、共演俳優からタッカーとの関係を尋ねられた時に、自分のタッカーに対する「決意」を、その共演俳優に覚られないようにするため「誰でもない、過去の人よ。何しに来たのかわからない」と動揺した心を押し隠すかのように語ります。それをイヤフォンで聞いたタッカーは撮影現場を後にします。

アナはタッカーに告白します

タッカーが帰ってしまったので、次の日、タッカーの本屋を訪れ、アカデミー賞を取ったことを祝福するタッカーに、そんなことはどうでもいいこと、一人の女性として好きな人に愛して欲しいと願っている、と告白します。
それでもタッカーは、アナとのジェットコースターのような恋愛体験に耐え切れないことを理由に「NO」と言います。

再び友人の閉店したイタリアンレストラン

アナの告白を断ったタッカーに対して、友人達や妹が、タッカーを気遣って「大した女じゃない」「女優なんてみんなヘビよ」「縁のない女だよ」「ベジタリアンを信じるな」と、口をそろえて、告白を断ったことが正解だと言います。「ベジタリアンを信じるな」には伏線があります。

タッカーがアナの真意に気付く

タッカーがアナの告白を、アナの真意だったと理解できなかったこと、アナの告白を断ったことが過ちであったことに気づくための「伏線」が用意されます。

一つ目の「伏線」                                  
このレストランのシーンそのものが第一の布石です。タッカーは、アナの申し出を断ったことが正しかったと確認したくて、友人達に報告し、意見を求めます。
そのことは、タッカーが、アナへの思いを断ち切れていない、ということを暗示しています。

二つ目の「伏線」                                  
急用だと呼び出されてたタッカーの同居人スパイク(リス・エバンズ)が、イタリアンレストランに到着し、タッカーの妹ハニーから、タッカーがアナを振ったと聞かされ、タッカーに「お前はトンマで大馬鹿だ」といいます。
アナのタッカーに対する気持ちは、真実だとスパイクは見ていました。スパイクもさんざんアナとタッカーを振り回してきたのですが。

三つ目の「伏線」                                  
タッカーを振ってタッカーの親友マックス(ティム・マッキンリー)と結婚したベラ(ジーナ・マッキー)が、アナが告白するときに持ってきて置いていったシャガールの絵を見て「その絵は本物じゃないんでしょ」といい、タッカー「たぶん本物だ」と返答します。シャガールも「伏線」になっています。

いよいよそのセリフ、最後の「伏線」                               お膳立てができたところで、「彼女いない歴、思春期から」の株屋役のバーニー(ヒュー・ボネビル)が、ポロリと発した「本音の言葉」が、タッカーの心にダメ押しします。

バーニー「お前と付き合いたいって?」
タッカー「Ya」
バーニー「ステキだよ」
タッカー「What?」
バーニー「だってそうだろ、相手が誰であれそう言ってくれるなんて」

それを聞いて、タッカーは、告白されたときのことを振り返り「女優だからきっと得意だろう、”セリフ”を言うのは・・・」とつぶやき「でも、こうも言っていた・・・」とアナの言葉を振り返ります。
アナの言葉が「女優」としてではなく、「一人の女性として」のアナの言葉であったことに気づき「どうしよう、僕は間違いを犯した」と、告白を断ったことを後悔します。

エンディングはハッピーエンドです。

このあと、タッカーと友人達は協力して、アナが滞在していたリッツへ急行します。しかしアナはリッツをチェックアウトした後でした。
リッツのホテルマン(ヘンリー・グッドマン)の粋な計らいで、タッカー達は、帰国前の記者会見がサヴォイ・ホテルで行われていることを知りサヴォイ・ホテルへ向かいます。ヘンリー・グッドマンがいい味を出しています。                                
タッカーは、サヴォイ・ホテルの記者会見に潜り込み、記者なりすまして、タッカーが後悔していること、ひざまずいてもう一度やり直すことはできないか、と言ったらどうするか、と質問しアナアナはそうしたいと答えます。

「Notting Hill」のもう一つの見どころ

タッカーは、バツイチで少し恋愛には少し及び腰になっている「傷つきやすい」イギリス人。タッカーは物語導入部の説明で、アナと知り合う前から、映画スターのアナを「別世界の住人」と言っています。このアナに対する考え方は物語を通じてタッカーとその友人に貫かれています。
アナは、映画スターのアメリカ人ですが「一貫してタッカーに魅かれる一人の女性」という役柄です。                                  物語の全体を通して、最初は安心できる人として、やがて恋愛の対象として、アナはタッカーに好きだというシグナルを送り続けますが、アナが映画スターであることによるハプニングとタッカーの「傷つきやすい」性格、タッカーの、アナは「別世界の住人」という意識もあって、なかなか二人の仲は進展しません。                                                     最初に決心して告白したのはアナでした。この時はタッカーの経営する本屋でアナとタッカーの1対1でした。
タッカーがアナに告白をしたのは、記者会見場。その告白は、当然マスコミで報道されます、アナにとっては映画スターのスキャンダルではなく恋の成就として、イギリスにとってはアメリカの大スターが、イギリス人男性と結婚してイギリスにとどまるという、祝福すべき出来事として。
このエンディングには強力な伏線があります。タッカーは、アナに古典に挑戦すべきだといい、J.オースティンやH.ジェイムズを挙げました。その後アナはオスカーを取り次の作品として、イギリスでH.ジェイムズ原作の映画(タッカーがアナの告白を断る原因となったシーン)に出演します。
強力な伏線とは、H.ジェイムズがニューヨークに生まれ、後にロンドンに居を構えて亡くなるまでロンドンに住み続けたことです。          
タッカーがアナへの告白を成功させた記者会見は、アナのアメリカへの帰国直前のものでした。タッカーからアナへの告白のあと、アナは「いつまでイギリスに滞在しますか」というすでに回答した記者の質問を、再度質問させて「永遠に(Indefinitely)」と回答します。この言葉で、2人の「永遠」の結合、結婚によって「住む世界の違い」「成功にほど遠いイギリス」というモチーフは解消して物語は完結を迎えます。
あとのシーンを暗示するたくさんの布石があり、それを見つけてみても面白い映画です。

人生は思うようにいかない

この映画は恋愛映画ですが、「人生は思うようにいかない」ということが物語の、もう一つのモチーフになっているようです。                                 
タッカーが好きだったベラは親友のマックスと結婚し、ベラは結婚後階段から転落して車いす生活になりました。ベラに振られて結婚したタッカーは、妻にインディ・ジョーンズ似の男と駆け落ちされました。経営する本屋もうまくいっていません。
株屋のバーニーは昇進から取り残され、物語終盤ではクビになります。建築家をやめてイタリアンレストランを始めた友人トニーは1年で店をたたむことになりました。タッカーの妹ハニーは仕事も大変だし、なかなか結婚相手に恵まれません。

友人とユーモアがあればやってゆける                             

物語冒頭の、タッカーとアナ、友人達が集まったハニーのバースデイパーティの最後にブラウニーが出てきます。
ブラウニーを食べながらマックスはアナに「君を見ていると、俺たち英国人は成功にはほど遠いって思うよ」と言います。「情けない」と合いの手が入り、再びマックスは「でもない、むしろ誇るべきかもしれない。最後のブラウニーを褒美にやる。最もみじめな奴に」ということで最後のブラウニーをかけた「みじめ競争」が始まります。                                      「みじめ競争」でベラは語ります「私は一日中車いすでぶつかりながら動いている。障害だけでもつらいのにタバコもやめたわ、大好きだけど・・・それに、私たちには子供ができない」「それが人生よ」「でもそれなりに幸せよ」。マックスはそう語るベラを静かに見つめます。                                      またベラは後のシーンで、友人トニーがイタリアンレストランを閉店する時の友人の集まりでこんなことも言っています。「トニー、気を悪くしないでね。考えれば考えるほど、人生って理不尽だわ、うまくいくことも、いかないことも。運がいい人もいれば、一方では・・・」                       思うようにいかない人生を生きつつ、友人達と少しのユーモアをもって苦難を分かち合うことで、思うようにならない人生を生きてゆく姿が描かれています。                    
ベラの言葉は、双方とも、友人たちの集まりで語られたこと、物語の導入部でタッカーがNotting Hill の説明として「近くには友達もいる」と言っていることや、物語導入部で少し自虐的ではあるものユーモラスにNotting Hill を紹介していることからも「友達」と「ユーモア」は大事なモチーフになっていると推測できます。
Notting Hill という映画を簡潔に説明するならば、アナとタッカーの、住む世界の違いを乗り越えた恋愛と友達との交流を描いた映画、ということになりそうです。

幸せな夫婦

ベラとマックスは、主要登場人物の中で唯一の既婚者です。
思うようにいかないくても、お互いを支えあって幸せに生きる夫婦像のシンボルとなっているようです。先にあげたベラの「みじめ競争」のマックスに向けたと思われる言葉のほかにも、それを暗示するシーンがいくつかあります。                              
アナとの縁がいったん切れたと思われてタッカーが落ち込んでいるとき、マックスは知り合いの女性を自宅に招いてタッカーに紹介します。
2人目の女性との食事中、ベラはそっとマックスに手延ばし、手を握る姿が描かれています。3人目の女性との食事会が終わって、タッカーがマックスの家に泊まることになり、就寝時にマックスはベラを車椅子から抱き上げて(いわゆるお姫様抱っこです)和やかに話しかけながら階段を上り寝室へと連れてゆきます。
物語の終盤、タッカー達がアナの宿泊ホテル、リッツへマックスの車で向かうとき、ベラは車に乗り込みませんでしたが、それに気づいたマックスは、半ば強制的にベラを抱き上げて車に乗せ、車いすをたたんで車に乗せます。ベラを同行したことで、ベラの車いすという境遇とベラの機転により、タッカーは、アナの記者会見場に入ることができます。                                    思うようにならない人生の中でも、協力し合って幸せに生きるベラとマックスの夫婦像を描くことで、「生きている世界の違う」アナとタッカーの恋の行方を暗示する役割を荷わせているいるように思います。

思うようにならない人生

すでに書きましたが、この映画の主要な登場人物は「思うようにならない人生」を生きています。
物語冒頭ではユーモラスではあるものの自虐的に、Notting Hill やそこに暮らす人々の描写が挿入されています。                          
タッカーは、「思うようにならない人生」の側の人間として描かれ、そしてイギリス人です。
一方アナは、映画の大スターであり「思うようにならない人生」とは対極の世界にいる人間として登場し、そしてアメリカ人です。                   
物語が進展するつれ、アナには女癖の悪い映画スターである恋人がいること、別れたい気持ちはあるものの別れればスキャンダルとなり追い掛け回されるてしまうので、マスコミ対策上、別れた恋人とも付き合っていることにせざるを得ないことや、過去の隠しておきたいヌード写真が新聞に掲載されたりとか「思うようにいかない」ことがたくさんあることが次第に明らかになってゆきます。                               アナの「思うようにいかない」ことは、まず最初にバースディパーティで「みじめ競争」に加わって「自爆」することから始まります。厳しいダイエットや整形の話、男運が悪いこと、演技が下手なことがばれて、将来は忘れ去られるだろうという不安などです。
映画スターとしてのアナであれば「みじめ競争」は加わらないでしょう。タッカーに好意を持っていなければそもそもタッカーの妹ハニーのバースディパーティに参加しません。アナはタッカーへの好意から、タッカーの友人たちに「映画スター」としてでなく、友人として認めてもらうため「みじめ競争」に加わったと考えるのが妥当です。                                  アナは、一貫してタッカーに好意をもち、やがて好意は愛情に代わり「愛してほしい」というシグナルを送るようになります。アナが滞在しているホテルの部屋へ来るよう誘ったのもアナですし、過去のヌード写真が暴露されて助けを求めたのもタッカーなら、ベッドインもアナから誘っています。さらにはリタ・ヘイワースの言葉を引き合いに出して、女優としての自分ではなく一人の女性として、あなたは私を愛してくれる?という「試験」をしています。
アナが英国を離れる直前の、アナからタッカーへの告白はこのリタ・ヘイワースの言葉を下敷きにしたものです。                 
ジュリア・ロバーツは、一貫して「恋する一人の女性」、スターだけれど「タッカーを慕い」「愛されたいと願う一人の女性」を演じています。                                          とらえ方を少し変えれば、アナは映画スターという自由にならない環境の中で(スターゆえのハプニングやスキャンダルが二人の仲を遠ざけます)、映画スターとしてではなく、一貫してタッカーに恋する一人の女性としてタッカーに接しているにもかかわらず、タッカーやタッカーの友達からは「住む世界が違う」人と思われつづけ、タッカーはアナの恋心に応じきれない煮え切らない男性、と言えます。それがタッカーの役どころ、なのですが。                              それでも、男性には、アナがタッカーの気持ちを確かめようと発するアナの言葉を理解することは、恋愛の勉強になるでしょう。食事をしているときアナをこき下ろしていた男性グループに、タッカーが、彼女も一人の人間だ、敬意を持つべきだ、といって抗議したことは、アナのタッカーに対する恋心をさら一歩進めたであろうことは、アナがその直後タッカーを部屋に誘うことからも見て取れます。

イギリスとアメリカ

また、これもすでに書きましたが、マックスがアナに「君を見ていると、俺たち英国人は成功にはほど遠いって思うよ」と言っています。
バースディパーティに参加してくれた大スターに「君とは住む世界が違う」とは言えませんから、アナを称えながらも「君は成功したアメリカ人」、自分たちはその対極の「成功にはほど遠い」「思うようにならない人生」をかかえたイギリス人なんだよといい、暗に「君とは住む世界が違う」と、タッカーとのこの先の付き合いにくぎを刺したかったのかもしれません。
これも伏線となり、閉店したトニーのイタリアンレストランでの、アナの告白を断ったタッカーへの友人たちの、断って正解だったとの、なぐさめの言葉へとつながります。                                            でも私には、マックスの言葉は、マックスの心情という面もありつつも、映画を作る側が言わせたかった言葉なのではないか、との気持ちもあります。
映画制作時の1999年はイギリス経済がさほど悪いというわけでもなかったようですが、イギリスは大英帝国でもなく、かつての植民地であったアメリカと対比すれば、イギリス人の心の底にあるアメリカ人に対する素朴な感情だったのではないか、とも感じます。                        それでもマックスは先の言葉に続けていいます「そうでもない、むしろ誇るべきかもしれない。最後のブラウニーを褒美にやる。最もみじめな奴に」とかなりアイロニックに言い、「成功にはほど遠くても、俺たちは俺たちでささやかに助け合いながらやってゆくよ、それが俺たち生き方さ」とアナに対する当てつけとも、それが俺たちイギリス流さ、ともとれるかのような発言をしています。                       アナは「みじめ競争」からは除外されていましたが、アナは自ら「みじめ競争」参加しました。アナは「成功したアメリカ人」から「みじめなイギリス人」の仲間になることを、この時点で予感させていたといえます。
それは、エンディングでの、いつまでイギリスに滞在しますか、という記者の質問に「永遠に(Definitely)」と答えた言葉に収れんされます。               

                 

映画「Notting Hill」[邦題:ノッティングヒルの恋人] (字幕)松浦美奈さん訳引用。

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